【シリーズ】地方に移住したパパたちを追って~広島編〈4〉後編~
平田欽也さんは師匠である清家清さんの影響を強く受けた
<グリーンパパプロジェクト企画>「シリーズ 地方に移住したパパたちを追って」第4弾は、広島市佐伯区で「一級建築士事務所アトリエ平田」を営んでいる同事務所代表取締役で一級建築士の平田欽也さん(54)。今回はその後編だ。子育てのことや、家族や地域とつながることができる住宅設計にこだわる理由などを伺った。
前編は、こちら。
「海のおじいさん」に導かれた人生 【シリーズ】地方に移住したパパたちを追って~広島編〈4〉前編~
(取材日:2015年10月17日)
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自分がやりたいことを通じて生き抜く力を醸成
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吉田:ヨットに乗って、ほかにどのようなところに行くんですか?
平田:大黒神島(広島・江田島市)という瀬戸内海にある無人島に行くんです。そこにプライベートな入江があって、メンバー10人で別荘を作りました。子どもたちも連れて行って、海水浴をしたり、流しそうめんをしたり。自分が東京にいるときから開催しているので、今年で25年目を迎えます。


吉田:本当にのんびりと過ごせていいですね。海や景色もすごくきれいですし。
平田:こういうときにすごくありがたいのは、家族だけで行くと目が離せないのですが、大人や年上の子どもたちが面倒を見合うんですよね。

吉田:そうですね。やっぱりそういう関係性が大事ですよね。特に、少子化でひとりっ子も増えている中で、いろんな人たちと関わっていくことが子どもの成長にとってプラスなことだと思います。自分が代表を務めるグリーンパパプロジェクトでも父子や家族など集団で地方に行くということをやっていて、多くのパパたちが関わることの大切さをまさに実感しているところです。
平田:こういう経験が活きたのか、うちの娘はボランティア団体やNPOが企画する、自然体験のキャンプに参加するようになりました。小学生から中学生が対象のキャンプで、期間は2泊から長いときは2週間くらい。広島中心部から車で1時間くらいの自然豊かな場所で開催されています。

キャンプでは7、8人のグループを作って行動するのですが、全員違う学年でメンバーを構成するそうです。同い年の子とか同じ学校の子は絶対グループにしない。そのグループ全員で1つの目標を掲げて、それを達成できるようみんなで取り組む。グループには教育学を学んでいる大学生のリーダーがついて見守ってくれるそうです。最初は泣いたり喧嘩したりでグループ内が大変な状況なんですが、終わる頃には別れに涙する大切な仲間に変わるようです。そういう活動に参加しはじめて、すごくたくましくなりましたね。
あと、キャンプと言えば、やっぱりギターができないといけないんですね(笑) なので、ギターを一生懸命練習していて、高校になったらスタッフとして参加するんだと張り切っています。
吉田:中3(当時)でギターはかっこいいですね。娘さんも自分の道というか、それは仕事じゃないかもしれないけど、「自分はこういうことやりたい」という気持ちをしっかりと持っていますね。
平田:はっきりしてますね。息子よりもはっきりしてます。
吉田:では、お父さんにもズバズバと言ってくる感じですか?
平田:そうですね。タジタジですね(笑) これまた的を射てるというか。女の子は精神的に早くに大人になるし、よく物事を見てますね。
吉田:反抗期はなかったんですか?
平田:まったくないですね。まぁ、まったくないというのは嘘だと思いますが、普通の子みたいな反抗期はないですね。
吉田:けど、そうやって普段会話する中である意味言いたいことを言えてるし、そうであれば反抗する必要もないですよね。そういう関係性が構築できているというのは、ヨットや自然体験などの経験があるからこそじゃないかと思います。
平田:あとは、家もバリアフリー化して、扉が全部閉まらないようにしてあるんです。もちろん本当に閉めようと思えば閉まるんですが、普段閉めることはありません。
一度、彼女が好きなバンドのライブに行きたいというので、最初は帰宅が遅くなるので反対していたんですが、そうしたら企画書を作ってきて説得されたことがありました(笑) 結局、抽選で落ちてしまったのでそのライブに行けなかったのですが、そのときはひどく落ち込んで、さすがに部屋を閉め切って、ギターを思いっきり弾いてましたね。
吉田:子どもが悩んだり落ち込んだりしたときに、親としてどう関わっていくのかというのは常に考えますよね。
子どもの生き抜く力をいかに育てていくかは親の役目として一番大切なことではないかと思っています。教育する機会を与えることはもちろん大事ですが、人間としてどう育てていくかのほうがもっと大事だと思っています。そういう意味で言えば、平田さんとお子さんとの関わり方は、すごく手をかけているというわけでもなく、しかし子どもにとって大切なものを経験しているような気がします。

平田:子どものチャンスを絶対につぶさないようにすることだけは心掛けています。人に出会える機会とか、キャンプに行きたいというのもそうですね。息子のほうはいまバンドをやっていて、ドラムを習っているんです。
吉田:自分のやりたいことに本当に熱中しているんですね。
平田:そういうことは応援するようにして、絶対に遮らないようにしています。もちろんお金が許せばですけどね。
あと、うちの子どもたちは音楽好きというのもあるのですが、僕たち家族が両親と同居したときに住んでいた離れのスペースがあって、いまそこに広島県内の研究所に勤めていたアメリカ人の夫と日本人の妻の夫婦が住んでいるんです。家賃の一部はうちの子どもたちに音楽を教えること(笑) ギターやバイオリンを教えてもらったり、息子はたまに英語も習っていますね。
息子は船乗りを目指しているので英語ができないといけないんです。ただすごく苦手だったので、「お前も英語を教えてもらえ!」って感じで本当に助かってますし、彼らはリタイヤした後、一旦アメリカに帰っていましたが、なんとヨットで太平洋を渡って日本に戻って来たんです。そんな世界観も感じてもらいたい。
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子どもたちに影響を与える環境づくり
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吉田:そのご夫妻は2人で生活しているんですね。
平田:そうです。私たちが実家に戻ってきたときに、離れの壁をぶち抜いてワンルームにして仕事場にしていたんですが、それがかえって暮らしやすかったようです。母屋とは渡り廊下でつながっています。
家の前には芝生の庭があるのですが、毎日仕事に追われて、僕としては草を抜いたり植木の手入れをするのが苦痛なわけです(笑) しかし、この夫婦は時々二人で庭の手入れをしてくれます。彼が「平田さんはどうして庭を楽しまないのか」と言うんです。よく「バーベキューしよう」と言って、セッティングして招待してくれるんです。
吉田:自分の家なのに「招待」って面白いですね(笑)
平田:とにかく庭によく出ていますね。天気のよい日は特に。
吉田:外に遊びに行くとかじゃなくって、庭に出かけるんですね。
平田:気候がいいときにはちょっとした作業は庭でしたり、お茶を飲んだり、読書をしたり、と外を楽しんでいます。こうした生活ぶりも子どもたちに影響を与えられたらと思ったので来てもらったんです。そうしたら、案の定、影響を受けてますね。
子どもたちを育てる上で意識したことは、自分とは異なる国・地域の人、年が離れている人、考え方が違う人、こういう人とくっつけちゃうことですね。

例えば、設計をしているクライアントにお子さんがいると、休日の打合せにはうちの子どもたちも連れて行くんです。うちの子どもには、打合せの間クライアントのお子さんの面倒を見てねと言ってますが、子ども同士ですからすぐに打ち解けて一緒に遊んでますね。でも、その家によって生活スタイルがまったく違っているわけです。会社員のお家、開業医のお家、会社を経営しているお家、わが家とはかけ離れた生活もあったりして、そういう方が大切にしているものとか考え方とか、そういうものも知ってほしいわけです。自分の父親がどんな仕事をしているのかというのも見てもらいたいですしね。
吉田:どんな関係性や環境を作るかで、子どもの育ち方って変わっていきますよね。親が「ああしようこうしよう」と考えるよりも、周囲の人間関係や環境いかんで、子どもたちが自分で育つ力を自分の中で養っていくことができると思うんです。平田さんはまさにそれを実践していると思います。
自分もいまひとり親で3人の子どもたちを育てていますが、正直1人で3人の面倒を事細かく見るのはできません。基本的には放牧状態です(笑) けど、それによって自分たち自身で考えないといけないので、3人とも自分なりに考えて行動してくれます。幸いにして3人の子どもたちに恵まれたことで、きょうだいという3人の関係性の中で学ぶことが多い。きょうだいという最少のコミュニティをフルに活用しています。
平田さんの育て方を聞いていると、方向性に共感するところが多く非常に感銘を受けます。人間としてもしっかり育っていく環境につながるんじゃないかなと感じました。
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家族や地域が交流できる家づくり
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吉田:ところで、本業の設計でもNPOの活動をしているとのことですが、具体的にどのような活動なんですか?
平田:「NPO法人住環境研究会ひろしま」に理事として参画しています。安全で健康的な住環境を求める人たちに、広島の気候風土に根ざした広島型の住まいの提案などを行いながら、住環境やまちづくりを一緒に考えています。2005年に立ち上げたので10年が経ちました。
以前、幼児のいる母親に今後どのような住まいに興味があるかを調査したことがありました(下記資料参考)。その結果、「子どもがのびのび育つ家」と回答した方が最も多かったんです。こうしたアンケート結果を基にして、「家族のコミュニケーションがとれる住まい」を1つのコンセプトにしています。
加えて、僕の元々の発想は建築設計の師匠である清家清が提唱した「私の家」という実験住宅にあります。「私の家」は1954年に建築学会賞を受賞しているのですが、扉がない家なんですね。

吉田:まさに、いまの平田さんのコンセプトにつながるんですね。
平田:清家はハウスとホームは違うと指摘しました。「ゴーイングホーム」と言ったらアメリカ人は涙を流すけど、「ゴーイングハウス」とは言いませんよね。だから、「火事で家が燃えたとしても、家族の絆があれば問題ない」。どこにいても「家は心の中にできるもの」と清家は言ってました。
あと、設計をする際、よく「間取りをどうしますか?」という話になり、間仕切りとドアで部屋を作っていますが、清家は「間を仕切るなんてとんでもない。間は仕切るものではなくつなぐべき。日本には伝統的な設(しつら)えるという考え方があるじゃないか」と言うんです。
吉田:設える?
平田:ちゃぶ台を置けば食堂になる、ちゃぶ台を片付ければみんなの娯楽室になる、居間になる、そこに布団を敷けば寝室になる。年配の方は「戸を立てる」と言いますが、襖や障子を開け閉めして、生活のシーンに合わせて空間を設えるということです。
「食寝分離(しょくしんぶんり)」という戦後もてはやされた建築用語がありますが、昭和30年代に公団住宅を造るとき、寝るところと食べるところを別々にしたんです。当時の衛生上の問題解決や、西洋のモダンな生活にあこがれて作られたんですが、反面個室化が先行しすぎて、子ども室を作らないといけない、夫婦の寝室を作らないといけない、となって、日本の家はどんどん個人のプライバシーが優先されてきました。一方で、家族のコミュニケーションが取りづらい家になってしまったんじゃないかと。それは清家清も言ってるし、私も60年経った現在もその影響が残っていると思っています。だから、日本の原点に戻れば、家族に間仕切りはいらないということです。
うちの家も両親の介護用にリフォームしたため全部引き戸にしちゃったわけですけど、子どもたちが小学校高学年くらいまでトイレの扉を閉めたことがないですよ。空けっぱなしですよ、家族全員(笑)
もちろん、トイレがみんなのいるところからは見えないように設計してあるので、わざわざ閉める必要はないということです。お風呂に入る際も、僕や息子は脱衣所の扉を未だに閉めないです。閉めることを前提に作ってないわけですね。
これを実現するためには、建物の断熱性能の工夫や、床暖房などの空調設備が調っていることが必要なんですけど、基本的な考え方は精神的なもので、家族の中に余計な仕切りはいらないという作り方を清家が半世紀以上前に提唱していたんです。
清家が建てた「私の家」という実験住宅は、東京では広い300坪もある敷地に離れとして建てられたものでした。彼が自分の両親のために作ったバリアフリーの住宅でしたが、両親は、「こんな扉のない家には住めない」と言って、結局、清家の家族が住むことになりました。
ちなみに、清家清には4人の子どもがいて、わずか20坪のこの住宅に夫婦と子ども4人の計6人で暮らしました。とてもきょうだい仲が良かったようです。ちなみに、その子どもの1人がいまの慶応義塾大学塾長の清家篤さんです。
吉田:お~そうですか。もともと労働関係の雑誌の記者だったので、労働経済学の大家の清家先生を知らないわけがありません。

平田:その後、清家夫妻は、「続私の家」という家を隣に建てて、「私の家」には長女の家族が住み始めます。次に篤さんが結婚をしたら、「倅(せがれ)の家」として発表しています。ちょうど僕が清家の事務所にいる頃で、篤さんは「普通の家にしてください」って言ってましたが(笑)
なので、家族の中でいつも入れ替わり立ち替わりで住んでいる感じですね。これに自分自身がすごく影響を受けて、広島でも取り組んでいます。さすがに東京だと、ものすごく贅沢な話になってしまいますが、広島の田舎だと土地が広いので案外可能だったりします。いま事務所に依頼が来る住宅の3件に1件は2世帯住宅なんです。


吉田:へぇ~、そうなんですか。
平田:だから広島はそれだけ環境がいい、ということですね。
吉田:子どもが一度実家を離れてもそのうち戻ってくるということですね。その中で、長く同じ家に住んで、世代も交代する中で、どのようにそこの環境の中で住み続けるかという考え方が必要ですね。
平田:住まいは、たいがい子どもの成長期に合わせて建てる方が多いので、子どものことばかりに目が行って、将来のことはあまり考えない傾向にあります。将来、夫婦2人になることを考えたり、両親の老後を考えたり、もうちょっと次につなぐことまで考えられたらいいねということです。それが広島だと割とできるんです。この事務所の向かいにも自分が設計した家があります(下記写真参考)が、この家の反対側には実家もあるんです。昔からあるお宅だったんですが、その隣の土地がたまたま売りに出たので、息子さんの家にどうですかと勧めて。で、これが若夫婦の家になりました。実家のお庭を共有しながら、3人の男の子が元気に遊んでいます。

吉田:母屋が丸々見える設計なわけですね。
平田:ええ、そうなんです。この住宅は、ひろしま住まいづくりコンクールで「県知事賞」をいただきました。県の建築賞は創設から5年連続で入賞していて、最近では、廿日市市に8戸の住宅群を作ったんですけど、そこでは「住まいのまちなみ賞」をいただきました。一貫しているテーマは、次の世代へ地域をつなげる住まいづくりです。街中ばかりじゃなくて広島の中山間地域では、母屋があって隣に納屋や蔵などがよくありますが、隣の使われていない部分をリフォームしたり、建て替えたり、母屋とつなげたりして、若夫婦の家にしています。このような住まい方を、近接居住とか、隣居型住まいという言い方をしてます。
吉田:隣居ですか。
平田:まぁ二世帯住宅ですよね、言うなれば。つまり三世代が住んでいるわけです。農業も若い人に手伝ってもらって、ということができるのがいいですよね。子ども(孫)たちの成長を共に喜び、互いに支え合う暮らしです。地域に住み継ぐことは、将来に渡って家族全員にとっても大きな支えとなると思います。
吉田:こういうつくりの家はなかなか見ないですよね。
平田:だからなるべく勧めるんです。そのルーツは師匠である清家清から来ています。
吉田:それは平田さんにとってある意味運命ですよね。東京で2、3年だけ勤めて広島に帰ろうと思っていたのが、清家先生のところで経験を積んで、それが糧になってまた広島へ戻ってきて、自分のキャリアを作っていくための重要な素材になっているわけですからね。
平田:実は清家の事務所に勤めていたときは、僕は1件も住宅の設計をやっていないんです。バブル時代でしたから、大きな建築物ばっかり。だから住宅設計をやってみたかったんです。
吉田:いま仕事の大部分はやっぱりこういう住居関係ですか?
平田:仕事の半分が戸建て住宅で、半分が集合住宅とか病院とかお店とか介護系施設とか様々ですね。最近デイサービスセンターを設計しましたが、住宅以外の施設でも、その地域の人々とのつながりはすごく意識していますね。
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若い人たちがもっと広島で活躍できるように
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吉田:いまどういう人たちに広島に来てほしいですか?
平田:いま広島工業大学で講師もしていて、この事務所にも卒業生が勤めてくれていますので、まずいま広島にいる若い人たちにはもっと広島に残ってもらいたいという気持ちはありますね。それは仕事の世界だけではなく、ヨットとか趣味の世界もそうです。若い人で何か頑張りたいと思っている人や、これまで広島の地域を支えてきた先輩たちと一緒に何かやりたいと思っている人はもう大歓迎です。
吉田:実際に平田さんがきっかけでこっちに移住してきた人はいらっしゃったりするんですか?
平田:私がきっかけで帰ってきた人かぁ。それは、直接的にはまだいないかもしれないですけど。まぁ間接的に影響を受けて帰ってきた人もいるかもしれませんね。
吉田:広島工大の学生でも、建築系だと就職するときはまず東京などの大都市部が多いのでしょうか?
平田:それがですね。私が広島工大で学生だった30年前は建築学科という1つの学科しかなかったんですが、20年くらい前に2つの学科に分かれました。1つはエンジニア系の建築工学科で、もう1つはデザイン系の環境デザイン学科です。2016年度から環境デザイン学科は、新たに建築デザイン学科に生まれ変わります。大学も時流に対応してるんですね。
エンジニア系の建築工学科は、卒業後、ほとんどが東京や大阪のゼネコンに就職して、施工管理の仕事、すなわち現場監督になる人が多いようです。とにかく大きい会社に入ってしまうので、約7割の学生が県外に出ちゃう状況ですね。
ところが、もう1つの環境デザイン学科の卒業生は約8割が、中国地方から来た子は中国地方に帰り、そのうち約6割が広島県内に残るといった感じですね。地元志向なんです。いまはとにかく出生数も1人2人と少なくなってきたので、地元に残したいという親御さんの意向も強くなってきたのではないかと思います。
いま大学の同窓会役員もやっていて、先日オープンキャンパスにお手伝いに行ったら、入学を希望している親御さんが質問してくるんですね、「うちの子どもは卒業後、広島に残れますか?」って。僕からは、「残れますよ、ただ地場の企業の給料は安いですよ」と言うんです。大手に行ったら倍くらいもらえるかもしれませんが、でも僕は「顔の見える仕事がここではできますよ」と勧めています。
「広島での生活は豊かだし、楽しいし、子育てしやすい」と言うと、お父さんとお母さんは「ううん?」と怪訝な顔をするんです。けど、おばあちゃんまで一家揃って来られることがあるんですが、そのおばあちゃんは「いまどきそんな大きい会社でもすぐ潰れるけぇ、わからんよ。地元がええけぇ」って言うんです。
吉田:おばあちゃんが地元に残ることを勧めるんですね。
平田:お父さんとお母さんはいま子どもの学費を払うことで精一杯です。授業料などで年間150万円くらいかかりますからね。そうすると、私立大学に子ども2人が行ったりしたら、もうちょっと家計は大変なことになります。子どもには同じ苦労をさせたくないって感じでしょうか。優秀だから東京に出せみたいな大学の先生もいますけど。でも、やっぱり優秀な人こそ地域に残ってもらいたいですね。
吉田:平田さん自身の経歴を考えると、東京で多少揉まれて、人材育成してもらってから帰ってくるのがいいなぁと思ったりするんですが。
平田:もちろん、それはいいと思うんですよ。僕も学生に、若いうちに外に出て修行してこい。地元のことは外からみないとわからないと言ってるんですが、でもいまの学生はあんまり出たがらないんです。
吉田:ちょっと内向き志向になっているのかもしれませんね。少子化の影響もありますが、日本人の海外留学生が減っていることと要因は似ているかもしれませんね。ただ、それはそれでうまく地域に残っていくことでその地域にとって貴重な存在になると思います。留まるなら留まったなりの人間関係を持ってもらって、自分の力としてどんどんつなげていってほしいですね。まぁ、それもその人の動き方いかんに因るのでしょうが。
また、そういう若い人たちが平田さんの影響を受けたりして広島で活躍してもらえればもっとこの地域が面白いことになるんじゃないかと思います。
今日はありがとうございました。
平田:ありがとうございました。